こんにちは。私は急性期病院の病棟看護師をしておりまして17年目になります。
先日、コロナことCOVID-19に罹患した時の体験談を備忘録として記していこうと思います。
※1人の人間の日記だと思って読んでください。
第七波までのこと
新型コロナウィルスの存在を知った
確か、2019年12月中華人民共和国で新型のコロナウィルス感染症が確認されたという知らせが、院内の感染管理者からのメールがあったと記憶しています。が、その時は隣国でありながらも海の向こうの出来事であり、「ふ~ん。新型ねぇ」とだけ思い、メール本文を読んだ後、削除しました。
あの時はまさか、こんなに大変なことになるとは思いもせず…。
私が勤めている病院は東京都内の急性期病院です。
2020年冬、早々に東京観光していた外国籍の方からコロナ感染症が認められ、当院で入院加療が始まりました。その時も私は集中治療域勤務ではなかったので、直接関わることもなく、同僚からの話程度でしか聞いてはおりませんでした。
襲来
その後は皆さまがニュースで知っている通り、第一波の襲来。
第一波の時は近隣の病院の受け入れ態勢が全く整っていなかったこともあり、受け入れている数少ない病院がコロナの患者を受け入れることに。
もちろん、私が勤めている病院も急性期病院なので、患者を受け入れながら、平行して集中治療室をコロナ患者専用にゾーニングしたり、物品や体制を試行錯誤しながら整えていました。私自身は外科病棟勤務でしたので、そこまで多くのコロナ患者が入院するわけではありませんでした。
けれども、内科系病棟の病床の空きが無い時は外科病棟にもコロナ患者は入ります。「軽症だから」ということで、夜間救急入院した患者がその日や明け方に呼吸状態が一気に悪化し、集中治療室へ運び入れ、その後人工呼吸器に繋がれるような事も多々ありました。
また、治療が上手くいき、人工呼吸器は外れたものの、酸素投与をしないと酸素飽和度が保てない、動くと呼吸苦が強くリハビリが必要…などの理由で集中治療室から一般病棟へ出てきて、リハビリ病院へ転院する方も多くいました。
一般病棟での恐怖
病院はコロナ患者だけを診ているわけではないので、コロナ患者で集中治療室が埋まってしまうと、一般病棟で本来は集中治療室で診るべき患者が入れない…ということも多くありました。
まずは侵襲度の高い手術を行う場合や心疾患や腎疾患、肺疾患など既往症がありながらも全身麻酔下の手術を行う場合、手術直後患者は集中治療室に入り、全身管理を行います。…それが出来ないのです。
もう一つは、一般病棟で患者に急変が起きた時、集中治療室に入れないのです…。昇圧剤(血圧を上げる薬)を持続投与しているにも関わらず、血圧が60以上上がらない患者を一般病棟で看なければならなかった時は、他の患者も大勢いるし、本当に恐怖でした…。
ここにいる者は、誰も死なせない!!!!!!!
と何度も心の中で唱えました。
※炭治郎の「悔しいなぁ、何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ」と煉獄さんの「俺は俺の責務を全うする!!」に自分を重ねて涙。
しかも、この時は「なぜ夜の飲食店ばかり責められるんだ」みたいな動きがあったと思うのですが、本当に飲食店関係のコロナ感染者が多かったですし、「コロナは嘘だ。茶番だ」と騒いでいる陰謀論者に
じゃぁ防護服なしで、ここに来てみろやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
と何度も発狂しそうになりました。
とにかく他の病院の受け入れ体制が整うまでは、本当に辛かったです。
おそらく、集中治療室やコロナ専門病棟の勤務者の方が辛かったと思いますが。
各企業や芸能人、小学校等からの支援
そんな地獄絵図な病院へ、各企業からの物流支援、お弁当支援や芸能人や小学校等からの「医療従事者ありがとう」メッセージはとても励みになりました。
以前は休憩時間が合う病棟スタッフみんなで短時間ながらも昼ご飯を食べていたのに、早々にアクリル板が立ち、「黙食」となり…。
「疲れたな…」と思って孤独にご飯を食べながら、職員食堂に貼ってある応援メッセージを見て、何度涙が出そうになったことか…。
お弁当などは集中治療室やコロナ専門病棟への配布が優先になるので、なかなか一般病棟でいただけることは無かったですが、メッセージを下さったり、商品を下さって支援していただいた企業様、芸能人、学生さんには本当に感謝しております。
ワクチン
…実際、自分とあまり年が変わらない患者が一晩で呼吸困難に陥り、人工呼吸器をつけるまでに至っているのを間近で見ていますから、ワクチン接種への期待は高まるばかりで。
もちろん、最初はちょっと心配でしたよ。日本では医療従事者からの接種でしたが、みんなドキドキしていたと思います。
私が勤めている病院では、決して「義務」ではなく「推奨」そして「本人の意向にお任せ」でした。また、感染管理者からワクチンやCOVID-19に関する勉強会が定期的に配信されていたため、多くの職員が接種していると思います。(…本当に誰が何回打ったか知らないし、詮索もしない。)
たぶん、みんな「早くこの状況から解放されたい」という一心もあったのではないかと…。
人とご飯すら食べに行けない
私達は第一波の頃から「同居者以外の人と食事禁止」。
…これがなかなか解除にならない。
もうそろそろ…いいかな???親に会いたいな?
と思った頃に、また波がやってくる…ので、全然解除にならない。
私は夫と一緒に二人だけで雪山や自然のある場所へ行くことが多いですし、独りでディズニーも行くので大丈夫ですが、飲み会が大好きだったスタッフや若手スタッフは同期とご飯食べながら愚痴り合うこともできず、ストレスは溜まる一方なんじゃないかなと。
今年のゴールデンウィーク明けに海外帰りの方が緊急入院してきた時、スタッフみんな「いいな…海外…」と呟いていました。
ま、私達は淡々と仕事をするしかないんですけどね。
このままだと来年あたりは行けるんじゃない?!
なーんて、励まし合っていました。
BA.5の感染力が凄まじ過ぎた
地獄への足音
そんなこんなで、なんとかやってきたわけですよ。
東京都の感染者数が爆発し、そんな中でも通常業務を行い、患者がより良い医療・看護が受けられるように、スタッフみんなで頑張ってきたわけですよ。
みんな飲み会もしなければ、マスク外して会話もしない。
求められた事でも、それ以上の成果を出そうとしてくれる、真面目なスタッフばかりなんです。
ある日、集中治療室での治療が終わった患者が一般病棟へ転床となりました。
その患者は某疾患により、現状を理解することができず、マスク着用なんてできない、とにかく暴れる、大声を出す…。
スタッフはサージカルマスクとゴーグルを着用して対応しますが、処置時に暴れるのでゴーグルは弾き飛ばされる…暴れるから人手が多くいる…そんな状態なので頻回な訪室が必要…。
地獄の始まり
なんとね、関わった看護師からコロナの症状が出たので、検査したらPCR陽性…。
その患者も検査をしたらPCR陽性だったのです…。
もちろん、その他関わった看護師は全員コロナ罹患…。
病棟へ外線電話があると、スタッフからの体調不良の連絡…。
一人、一人、と体調不良で出勤できないスタッフが増えていく…。
しかも感染症だから10日間は絶対出勤停止。
やばい…でも頑張らなくちゃ…。ベテランの私がなんとかしなくちゃ。
と、残る数少ないスタッフで頑張っていた矢先…
…喉…が痛い…
症状出現
ヤバイ。喉が痛い。…でももうこの状況休めないよ…
と、スマホ片手に、シフト見ながら「これ、私が休んだらどうなるんだ…もう崩壊じゃん…」と思い、病棟へ連絡するか、しないか、いや、感染症の可能性あるんだからしないとダメだろ…と数分の間に何度も何度も何度も何度も何度も何度も…自問自答し、病棟へ連絡。
すると師長が出ました。
あら。ぴくみんさんも…。大丈夫、こっちは何とかするから。大丈夫だよ。
と…。いや…もう分かるんです。。。何とかならないんです…。私が連絡する前から地獄絵図だったんですもん…。こんな状況無理なんです…患者の安全もスタッフの安全も守れそうにもないんです…。
師長だってずー--っと働いているじゃないですか……。
その上、私が休んだりなんかしたら、「マジかよ…」て絶望的になりますよ…。
それなのに、すごく優しい温かい言葉をかけてくれました。
自宅療養開始
夫は仕事が忙しく、私の症状出現数日前からすれ違い生活でしたので、すぐに私は寝室を自室として自主隔離。我が家は無駄に3LDKに夫婦二人暮らしなので、接触をせずに生活することが可能でした。
感染経路は「飛沫感染」と「接触感染」。
咳・くしゃみを浴びせない、私が顔周りやマスクを触った手で寝室外の物を触らなければ、夫には感染しないはず。
石鹸・流水による手洗いは最強なので、寝室外に触れるのであれば、手をしっかり洗ってから。
もし触れたようであれば(ドアノブなど)、消毒をしました。
キッチン、シャワー、トイレは共有。
キッチンはなるべく使用しないように、シャワーは夫が使用した後に私が使用し、最終的にしっかり洗い流す。また、なるべく私は寝室から出ないようにしました。寝室から出た時は触れた場所を消毒。あまり飛沫を飛ばしたくないので、部屋でもマスクを着用していました。
夫との会話は基本LINEで。
最初の3日間が辛い
多くのBA.5感染者の症状同様、咽頭痛から始まりました。
え、待って。クーラーのせい…?…いやこれ典型的なBA.5の症状じゃね?
普通の人は最初「クーラーで喉やられた?」としか思わないかもしれません。
が、その後、大抵高熱が出ます。
私は最高39度まで発熱しました。…2日間ほど…。これが辛かった…。発熱時の全身の痛み。
ワクチンの比じゃないと思う。
「う、動けない…動けない…痛い…」と全身に太い針が多量にぶっ刺さっている感じで。
特に私は骨盤が痛くて歩けないんじゃないかと思うくらいでした。
辛かったですが、
私は重篤な既往症もなく、山も登るしボードもする体力がある30代だし、ワクチン3回接種しているから、軽症なはず。…呼吸?苦しいかもしれない。けど、酸素が必要な程ではないはずだ…脈もいつもよりは早いけど、そこまで頻脈ではない…あぁ!!!辛い!!!!!
と朦朧とする頭で、自身のアセスメントを繰り返しました…。
あとはとにかく脱水になってはダメだと思い、なんとか水分を摂ろうとするも、動くことが困難なんですよね…。
後に夫に買ってきてもらったゼリー状の水分補給やゼリー状のエネルギー補給があると、ベッドで横になりながらも飲めるので助かりました。
最初の3日間はトイレもなんとか歩けるくらいで、トレイに行ったら頑張って水分補給し、ベッドに横になっていても体がしんどく、さらに睡魔なのか意識が何度も遠のきました。
PCR検査
正直、このまま自宅療養をするのであれば、検査しに行く必要あるか?とも思いましたが、私は看護師なので、陽性かどうかは職場として必要ですので、週明け月曜日に検査へ行きました。
…検査受けに行くのも、しんどいのですよ…だって3日間寝たきりで、固形物食べてないんだもん…。
おそらく自分が陽性だと思っているので、人が少ないであろう朝早くに出発。
周りの人とは距離をいつもより保ち、触れないようにして病院へ。
朝のの受付がまだ始まっていない頃に、番号札を持って順番待ちをしました。…辛かった…。
PCR採取時に電話番号を聞かれ
PCR検査の結果が出たらお電話します。
とのことで、帰宅。帰宅後はシャワーへ直行し、テレワーク中の夫と接触しないように寝室へ。
夫も濃厚接触者になった場合は職場へ連絡しないといけないようなので、結果待ち。
陽性判定とショートメール
病院からの電話を待っていましたが、それよりも厚生労働省からのショートメール受信の方が早かったです。
PCR検査の午前受付が11時なので、回収→検査結果は午後イチくらいに出るかな?と思っていましたが、13時前には厚生労働省からのショートメールが着ました。
「陽性」とは明記されていないものの、「療養中の方が関心の高い事項はこちらへ…(URL)」や接触確認アプリCOCOAのリンクがあったので、内容的に「陽性」かなと思えるものでした。
陽性が確定した場合は、すぐに登録されるようですね。
これはありがたいですね。
その2時間後には自分の居住区からのショートメールが。
同じ様なタイミングで病院から「陽性」との電話報告を受けました。
この頃には頭痛と咳、咽頭痛、倦怠感はあるものの、微熱程度になり、久々に炭水化物を食べたくなってきたので、蕎麦を食べました。
療養生活
10日間の自宅療養。
前半はとにかく辛くて、何かしようとしても、身体が休息を求めているのか、寝てしまうんですよね…。色々仕事も残してきているので、やらなきゃならない事や、連絡しなければならない事も多々あったのですが、頭が痛すぎて全然作業ができないのです。
とにかく、トイレは自分の脚で行かなければならないので、脱水にならないようにトイレ行った後、なるべく水やスポーツ飲料を飲むようにしていました。
後半は少しずつ元気も食欲も出てきて、ご飯を食べることができましたが、咳、痰、鼻づまり、咽頭痛はずーーーとある状態。
療養生活10日目でも上記症状は継続。
寝室に自分のノートパソコンを持ち込み、YouTubeやDisney+を見て過ごしました。
食べ物
最初の3日間はとにかく何も食べる気になりません。
状態を起こすことも辛い状況。なので、寝ながら水分補給や栄養補給ができ、そのまま容器を破棄できるものが非常に役立ちました。
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あとは自分の部屋に持ち込む用のペットボトルの水が重宝しました。
2Lや1.5Lだと大きすぎるので、500ml程度の水が飲みやすいし、コップも使わなくて済みます。
10日間あまり動かないので、便秘にならないように、硬度の高いヴィッテルを飲んでいました。
※ヴィッテルは軟水より硬度が高いですが、高すぎないので飲みやすくて愛用しています。
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シャワーと洗濯
シャワーは家族の中で一番最後に浴び、しっかり流せば大丈夫。
夫のシャワーのタイミングを見て、夫と時間が重ならないように気を付けて浴びました。
また、接触感染もしないように、自分が着ていたパジャマは寝室から出たら、家の何にも触れないように移動し、シャワーのタイミングで脱いで、そのまま洗濯機の中に入れていました。
パジャマが数枚あって良かったです…。
ドラム式洗濯機なので乾燥までしっかり行いました。
消毒
寝室から出る時は基本、マスクをして、なるべく物に触れないようにしていました。
物に触れた場合は、しっかり手を洗い、洗った直後にドアノブや照明スイッチ等、触れた部分を消毒。
ゴミは自分専用のビニール袋に入れ、密封し、療養期間終了後に捨てました。
どのくらいで治ったか
3日間は熱が上がったり、下がったり。39度台の熱で頭痛でほぼベッド上で寝ている状態。
4日目あたりからようやく食欲が出るも、咽頭痛と咳は継続。
7日目あたりから、少し身体を動かすことができるも、頭はひたすらぼーっとしている。
10日目。翌日勤務のために職場の上司と電話連絡した際に、自分の声が全然出ていないことを自覚。また、話をしていると咳が出る…。上司が勤務調整をしてくれ、12日目から出勤することに。
12日目、出勤。家では声を発することが、あまり無かったので、全然声が出なくてびっくり…そして咳と痰が出る。11日家に居たので、体力の低下が著しく、仕事しただけでふくらはぎが筋肉痛に!!!これはさすがに焦りました(;゚Д゚)
結局、咽頭痛から逃れられ、声がちゃんと出る様になったのは発症後3週間程度経過してからでした。
咽頭(喉)の違和感はまだ続いています。
体力に関しては毎日勤務後に50~60分歩いて家に帰ったり、徐々に回復していった次第です。
山へ行けるような筋力と体力が復活しているかというと、正直不安な状態です。
まとめ
重症化はしにくい株になったとはいえ、ならない方がいい…です。
年齢の割に、体力はある方だと自負していますが、正直、私は辛かったですよ…。
喘息持ちのスタッフは、一旦復帰して勤務したものの、喘息症状が再燃してしまい、また休暇に入ってしまっています。喘息に対する薬剤でアレルギーが出てしまったり、なかなか大変な状態に。
しかも入院適応なほどの重症ではないので、自宅療養をしており、辛い日々を過ごしているのです…。
コロナよ…もういい加減にしてくれ。疲れたよね。
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